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      <title>歴史</title>
      <link>https://s.musha.org/blog3/</link>
      <description>歴史についてあれこれと綴るブログです。現在は、城下町・新発田の魅力を、江戸時代の古地図をベースに発掘しています。</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2018</copyright>
      <lastBuildDate>Wed, 21 Oct 2015 21:05:30 +0900</lastBuildDate>
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         <title>新発田の「御成り道」の説明文</title>
         <description>　「新発田マップ」で再生される「御成り道」音声ガイドの説明文テキストを掲載します。


◆「御成り道」の説明文

　城下町・新発田の「御成り道」コースをご案内します。

　御成り道とは、藩主が城下町の外からお城の本丸へ入る時、公式に通る道のことです。
　参勤交代の行列も往来しました。
　どの城下町にも御成り道はあったと思われますが、そのほとんどは忘れ去られています。

　そんな中で、新発田の御成り道は、ほぼ当初の道筋がそのまま残されています。
　古い絵図にも、御成り道を描いた場面があります。
　江戸時代を通じて、200年以上に渡り、参勤交代の行列が往来しました。

　御成り道は、城下町の作りとお城の縄張りを、実感することのできるルートです。
　全長は、約2㎞です。
　やや詳しくご案内しましょう。

　起点の上鉄砲町には、約90軒の鉄砲足軽の屋敷が並んで、守りを固めていました。
　ここから、T字路に突き当たっては直角に曲がって、にぎわう商人町を抜けて行きます。
　城下町らしい「鍵曲り」のような街路構造です。

　大手先には、お城の御用を勤める職人の住む御免町がありました。
　お城の表玄関である三の丸・大手門は、軍勢が通りにくいように枡型で構えていました。
　現在、大手門の跡地は新発田警察署になっており、ここはショートカットになります。

　大手門から城内に入ると、大きな武家屋敷が並んでいた三の丸の通りです。
　直線的に進むと、突き当りに、かつて二の丸・中ノ門がありました。
　前面のお堀、左右の櫓、中ノ門は、残念ながらいずれも失われています。

　中ノ門の跡地から二の丸に入り、本丸へと向かいます。
　堅固で美しい本丸の石垣が現れ、鉄砲櫓（現・隅櫓）が見下ろしています。
　左手に延々と続く石垣の彼方に三階櫓、一方の右手には、表門と辰巳櫓が望まれます。

　細長い帯曲輪へ渡り、堀沿いに進んで、本丸・表門の前に到着。
　橋を渡り、表門をくぐると、かつて広大な御殿があった本丸です。
　初代藩主・溝口秀勝公の銅像が迎えてくれます。

　左手の奥には、屋根に三匹の鯱が輝く三階櫓がそびえています。
　三階櫓は、実質、新発田城の天守閣です。
　天守閣と称さなかったのは、一国一城令と越後内の譜代大名に遠慮したためでしょうか。

　御成り道は、ドラマチックな「ストーリー」を思い浮かばせてくれるルートです。
　時を越えて、バーチャルに、参勤交代の行列に加わってみてはいかがでしょうか。
　あるいは、お城をめざして攻め込んでいくと考えるのも、また、別のストーリーです。

　これらのことは、御成り道を実際に歩いてみてこそ、体験できるのです。

　最後に本丸に到着したときのご感想はいかがでしたか。
　今夜はゆっくりと風呂に入って、旨い地元の酒と料理を味わいたいものだ。
　そんなお殿様気分に浸れるかもしれません。

　たぶん、歩くたびに異なるストーリーが展開されることと思います。
　それが、この御成り道コースの魅力です。
　どうぞ、ごゆっくりとお楽しみ下さい。
■</description>
         <link>https://s.musha.org/blog3/2015/10/post_37.html</link>
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         <category>城下町・新発田</category>
         <pubDate>Wed, 21 Oct 2015 21:05:30 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>新発田の「御成り道」</title>
         <description>◆御成り道とは
　御成り道とは、城下町の外からお城へ入る道で、参勤交代の行列の公式ルートでもある。
　どの城下町にも御成り道はあったと思われる。
　しかし、そのほとんどは存在したことすら忘去られている。
　
　新発田の御成り道はどうなったのか。
　実は、ほぼ完璧な街路としてそのまま残されているのである！
　全国でも随一と誇れるような、みごとな御成り道である。


◆新発田の御成り道
　新発田の御成り道は、旧町名で表現すればつぎのようになる：　　

　　上鉄砲町　→　人数溜り　→立売り　→　万町　→　札の辻　→　大手先
　　→　御免町　→　三の丸大手門　→　三の丸通り　→　二の丸・中ノ門
　　→　二の丸　→　土橋門　→　帯曲輪　→　本丸表門　→　本丸

　全長は、約2㎞である。
　このうち、三の丸大手門は跡地が新発田警察署となっており、通れない。
　その部分は、今のところ、ショートカットになるのはやむをえない。

　古地図では、御成り道という表記は無いので、それと意識して読む必要がある。
　著作権の関係で、古地図はここには表示できない。
　「城下町・新発田マップ」には表示してあるので、ホームから参照していただきたい。

　「新発田より江戸道中絵図」（愛知県西尾市立図書館蔵）というのがある。
　これの最初の部分には、札の辻から人数溜り、ついで上鉄砲町の鳥瞰図が描かれている。
　他にも、大手先から大手門の風景を描いた別の絵図もある。

　古地図にも古絵図にも、現在の街路としても、「御成り道」は残っている。
　にもかかわらず、新発田ではほとんど関心を持たれていない。
　足元に貴重な観光資源が眠っているのであるが…。


◆散策・観光コースとしての御成り道
　御成り道は、散策・観光コースになれるであろうか。
　「Yes」である。
　しかも、世の一般的な観光コースとは別次元の特徴がある。

　　◇　◇　◇

　一般の観光コースは、いくつかの観光スポットを順に線で結んだものに過ぎない。
　あるスポットからつぎのスポットへ、単に通りやすい道筋を移動する、のを繰り返す。
　各スポットは、地理的な順番で結ばれていくだけである。

　こういう観光コースには、各スポットの順番の必然性も関連もない。
　だから、コースとしての「ストーリー（物語）」がない。
　「ストーリー」がないから、コースの印象が薄く、どこを回ったのか覚えにくい。
　
　　◇　◇　◇

　御成り道は、築城時に設計された道筋である。
　江戸時代を通じて、200年以上も参勤交代の行列が往来した。
　城下町の入口から本丸までの公式ルートであった。

　上鉄砲町には、約90軒の足軽屋敷が並んで、守りを固めていた。
　ここから、T字路に突き当たっては直角に曲がるを繰り返して、にぎわう商人町を進む。
　城下町らしい「鍵曲り」のような構造である。

　大手先には、お城の御用を勤める職人の住む御免町があった。
　三の丸・大手門は、寄せ手の軍勢が通り難いように構えていた。
　城内に入り三の丸の大通りを行くと、突き当りが二の丸・中ノ門である。

　前面のお堀と左右の脇櫓に守られた中ノ門から二の丸に入る。
　本丸の西南端の構える鉄砲櫓（現・隅櫓）の真下で、帯曲輪へ渡る。
　堀に挟まれた細い帯曲輪を通って、本丸表門前に到着。

　表門をくぐると、かつて広大な御殿があった本丸である。
。
　　◇　◇　◇

　御成り道は、城下町の作りとお城の縄張りを、実感することのできるコースである。
　参勤交代の行列が街を行く光景が目に浮かぶ。
　お城の櫓や堀や石垣などのイメージが迫ってくる。

　行列の人々の心に思いをはせることもできる。
　一年ぶりに江戸からの長旅を終え、無事に帰着した安堵感。
　藩主、同行の家来衆、出迎える町人、在郷の藩士、それぞれの郷愁。
　　
　御成り道には、ドラマチックな「ストーリー」がある。
　時を越えて、まさに参勤交代の行列を眺めているようなバーチャル空間に誘われる。
　その感覚は、心に御成り道を鮮明に刻み込むことになると思う。


◆御成り道を観光コースにする第一歩
　新発田の御成り道は、しっかりと存在している。
　観光コースとしての潜在力も十分にある。
　そして忘れ去られた現状。

　御成り道を観光コースとして蘇らせるにはどうすればよいか。
　課題や問題を整理しなくてはならない。
　ここでは、初めの一歩について、提案しておきたい。

　【提案】
　　　・御成り道そのものを理解すること
　　　・御成り道の現状を把握すること
　　　・観光コースとしての要件を確認すること　
　　　・観光コースとしての整備計画を立案すること　
■
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         <link>https://s.musha.org/blog3/2015/09/post_36.html</link>
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         <category>城下町・新発田</category>
         <pubDate>Thu, 24 Sep 2015 20:51:59 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>新発田の旧町名説明文作成が終了</title>
         <description>　旧町名説明文の作成が、ようやく終了した。
　目標の7月末から二週間遅れた。
　仕事が入って一週間、旧町名関連の調査を拡げたことで一週間、が原因であった。


◆終了はしたけれど
　物事は調べれば調べるほどに、よく分ってくる。
　分って解決するのがほとんどなのだけれど、逆もある。
　分らないということが分かる、ことも多い。

　例えば、
　　・「町」の読みは「マチ」か「チョウ」か
　　・説明情報が不十分（桶屋が多く住んでいたから桶町、ではどうしようもない）
　　・説明情報が無い　（なぜ大黒小路？、なぜ石川小路？）

◆マップに音声ガイドとして組込む
　いろいろあるが、ひとまず終了とした。
　加除修正は継続していく。
　このあと、音声ファイルを作成して、早めにマップに組込みたい。
■</description>
         <link>https://s.musha.org/blog3/2015/08/post_35.html</link>
         <guid>https://s.musha.org/blog3/2015/08/post_35.html</guid>
         <category></category>
         <pubDate>Mon, 17 Aug 2015 23:23:26 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>新発田の旧町名説明文の遅れ</title>
         <description>　旧町名説明文の作成が遅れている。
　もう少々かかる。
　夏休みの宿題を抱えた感じがする。

　遅れた理由は二つ：
　　・７月末に仕事が入ったこと
　　・調べている途中で深みにはまったこと

◆７月末に小さな仕事
　会社の顧客から、システムの修正依頼があって、数日の作業が発生した。
　従来の処理に例外を追加するので、細心の注意を要した。
　先週末に検収が完了した。

　◆調べては深みにはまる　説明文の検討が遅れているのは、仕事のせいばかりではない。

　江戸時代の職人について調べていくと、果てしなく深みにはまっていく。
　特に、現代に残されている状態は、興味深く、説明文は後回しだ。。
　カッコよく言えば、ネットで「知の旅」に浸っていることになる。

　指物町の指物屋、桶町の桶屋、職人町の鍛冶屋について、重点的に調べてきた。
　結果、説明文の材料はそろったので、このあたりでまとめに入る。
　それにしても新発田には、かつて立派な職人の町があったのにと、きわめて残念に思う。
■</description>
         <link>https://s.musha.org/blog3/2015/08/post_34.html</link>
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         <category>新発田の旧町名</category>
         <pubDate>Sun, 09 Aug 2015 22:44:36 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>新発田の旧町名説明文経過報告</title>
         <description>　旧町名の説明文の作成は、予定より遅れているが、かなり進んでいる。
　頼りにする資料は、市立図書館の『城下町新発田の旧町名』（2009年刊行）のみ。
　その複写を参照しながら、古地図も見ながら、作業している。
　
◆武家町は終了
　「新発田マップ」用の音声テキストとしては、ひとまず終了とした。
　それぞれの町名の由来や成り立ち、古地図の屋敷割りを見ると、往時の街が偲ばれる。
　それにしても、現在の街は、個性が乏しく、秩序が無く、美しさもないと思う。

◆商人町も終了
　簡単に済ませられると思ったら、そうはいかなかった。
　特に「上町」は、大手先の正面で、T字型で札の辻があり、奥行き100mの商家が並ぶ。
　これらをどう適切に表現するかに手間どり、数日かかった。

◆職人町はこれから
　参考資料を引用すれば良いと、甘く考えていた。
　しかし、例えば「指物町には指物屋が多く住んでいたから指物町だ」には疑問が湧く。
　なんで指物屋が集まったのか、多いとはどれほどか、他にどんな店があったのか、など。

　よく調べないと分からないから、今は、参考資料の無難な説明を引用することにする。

◆寺町、泉町などもこれから
　参考資料には、かなり詳しく掲載されている。
　分かりやすく要約すれば良さそうだ。
　職人町に先行するかもしれない。
■</description>
         <link>https://s.musha.org/blog3/2015/07/post_33.html</link>
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         <category>新発田の旧町名</category>
         <pubDate>Thu, 16 Jul 2015 23:25:58 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>城下町・新発田の旧町名説明文を作成中</title>
         <description>◆失われた旧町名
　新発田は城下町であり、全体が藩により、厳格に屋敷割りされていた。
　武家も町民も、身分や職業によって、それぞれ居住する町が決められていた。
　町名によって、城下町の作りがよくわかるようになっていた。

　武家町の町名は、位置や町並み、居住者の職掌などで決められた。
　職人は、職種によってまとまって同じ町内に住んだ。
　商人は、中心部に商店街らしい町名の町で、店を並べた。

　そうした由緒と特徴のある、意味のある町名は、昭和30年代の新住居表示により消えた。
　新住居表示では、地域を幾何学的に分割し、平易な町名と数字の丁目を割り付ける。
　それが現在の新発田のほとんどの町名である。


◆旧町名の説明文をまとめる
　失われた旧町名を調べるには、古地図と参考書のお世話になる。

　　　・「新発田藩家中屋敷割図（明治初年版）」

　　　・「城下町・新発田の旧町名」
　　　　　佐藤　恒男／著　新発田郷土研究会　2009年08月（市立図書館蔵）

　後者は、新発田の旧町名についての唯一の参考資料である。
　町の成り立ちや町名の由来、関連する屋敷割り図や古写真などをまとめた小冊子である。
　必読の一冊といえる。

　ただし、町名間で記述にバラツキがあるので、今回の説明文にそのままでは使えない。
　多くの内容を頼りながらも、分りやすい説明文を構成するようにしている。
　想定外のハードな作業であるが、けっこう楽しめる。

　城下町の成り立ちや歴史、興味深い事実などが、次々と現れてくる。
　単に参考資料として読むのではなく、気合を込めて読むからであると思う。
　城下町・新発田の奥行きは深い。

　
　（まもなく、武家町の説明文がまとまります）
■</description>
         <link>https://s.musha.org/blog3/2015/07/post_32.html</link>
         <guid>https://s.musha.org/blog3/2015/07/post_32.html</guid>
         <category>新発田の旧町名</category>
         <pubDate>Sun, 05 Jul 2015 12:37:34 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>新発田城御殿間取り図：御間柄全図（１）</title>
         <description><![CDATA[◆『新発田城中御間柄全図』（復元図）
　古地図『一歩一間歩詰惣絵図』に加えて、もうひとつの復元図がある。
　新発田城の本丸御殿の間取り図だ。
　これも先回の紀行で借用できた。

　『御間柄全図』は、明治34年（1901年）、藩の棟梁であった股野氏の子孫が作成した。
　本丸全体（堀、石垣、櫓、門、御殿、庭など）と御殿内の間取りを正確な絵図にした。
　御殿の全部屋の呼称、廊下や塀などが丁寧に描かれている。

　御殿は二階建てで、原図では一階部分の上に二階部分を貼り重ねてあるという。。
　復元では、その状態を彩色で鳥の子紙に復元した。
　そして、薄紙で一階部分をモノクロで復元した。

　原図は、100分の1縮尺で、横107cm、縦78cm。
　復元図は、原図の70％縮小で、横79.5cm、縦56cm。薄紙の図面は、横55cm、縦39cm。
　復元図は、1977年に、限定800部、頒布価格1,300円で発行された。
　
　
◆『御間柄全図』のデジタル・コピー
　『御間柄全図』を精度600bpi、JPEG形式でスキャンし、パソコン上にデジタル化した。
　絵図全体の画像ファイルは、横19,943×縦12,208pixel、容量は 192MBとなった。
　Adobeの「Photoshop Elements 11」であれば、詳細部分まで問題なく拡大できる。

 　　　　→　<a href="https://s.musha.org/blog3/image/Goten_layout_640.jpg">『御間柄全図』の画像
</a>
◆部屋割りについて
　復元図には、２頁の解説書が添付されている。
　ただ、個別の部屋については、特に記載されていない。
　知りたくても、よく分らない、というのが実情のようだ。
　
　御殿は、大きく東側の「表御用」と西側の「裏御用」に分かれる。
　「表御用」は公的部分で、「裏御用」は藩主の私的生活部分である。
「裏御用」は、御殿全体の約３分の１の面積を占めていた。

　　◇　◇　◇

　「表御用」に「時計の間」というのがある。
　ここは、家老クラス９名と御用人クラス６名のみが、入ることを許されていたようだ。
　すぐ隣には「御膳仕立ての間」という大きな部屋があり、宴席に使われたのかも。

　部屋は、身分と職制によって厳しく割り当てられていた。
　日常的な藩の行政が、どこで行われていたかも知りたいものだ。
　数ヶ所に、休息所とお菓子の間が設けられているのも興味を惹かれる。
　
　　◇　◇　◇
　
　「裏御用」には、藩主の「居間」や「書斎」などがある。
　これらは、御殿の西南部分の庭（池がある）に面した南向きの部屋である。
　まさに、殿様気分の生活環境だ。

　
◆（ひとこと）
　復元図は、一階に二階が重なっているが、これは意味がない。
　一階と二階は、それぞれ分けて、二枚で復元して欲しかった。
　二階部分を薄紙にして、一階部分に重ねて見れるようにすると、きわめて便利だ。

　（著作権の関係で、スキャン・合成したJPEGファイルは、公開を控える）
■]]></description>
         <link>https://s.musha.org/blog3/2014/08/post_31.html</link>
         <guid>https://s.musha.org/blog3/2014/08/post_31.html</guid>
         <category>城と城下町</category>
         <pubDate>Tue, 26 Aug 2014 23:49:10 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>新発田古地図：一歩一間歩詰惣絵図（２）</title>
         <description><![CDATA[◆復元図のデジタル・コピー
　『一歩一間歩詰惣絵図』のデジタル・コピーをパソコンに取り込んだ。
　大きな絵図をやや高い精度（600bpi、JPEG形式）でスキャンした。
　絵図全体の画像ファイルは、横21,403×縦28,268pixel、容量369MBと大きくなった。

　この大きさだと、通常の写真表示ソフトでは、全体の縮小表示がやっとだ。
　拡大していくとボヤケてしまい、細部を判別できないので、役に立たない。
　Adobeの「Photoshop Elements 11」であれば、詳細部分まで問題なく拡大できる。

◆「札の辻」付近の拡大図（画面Copy）
　例えば、「札の辻」に描かれたごく小さな高札場の絵を、形状まで十分に確認可能だ。
　小さな文字（間口など）も判読に十分な表示まで拡大できる。
　画像ファイルは、横 883×縦 404pixel、容量 501KBである。（Photoshopの画面Copy）

<<a href="https://s.musha.org/blog3/image/fudanotuji.html" onclick="window.open('https://s.musha.org/blog3/image/fudanotuji.html','popup','width=883,height=404,scrollbars=yes,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="https://s.musha.org/blog3/image/fudanotuji-thumb.jpg" width="160" height="73" alt="" /></a>


◆絵図全体の縮小図
　部分を拡大しても、全体像は分からないにで、全体画像の縮小版を作ることにした。
　これも問題で、「Photoshop」でもうまくいかない。
　「IrfaanView」というフリー^ソフトが役に立った。（上記のような拡大表示はダメ）

　普通の写真を縦にした大きさで、容量を減らすため、GIF形式にした。
　絵図に描かれた新発田城下町の全体が、分ってもらえると思う。
　画像ファイルは、横 485×縦 640pixel、容量 132KBである。

<a href="https://s.musha.org/blog3/image/all_640.html" onclick="window.open('https://s.musha.org/blog3/image/all_640.html','popup','width=485,height=640,scrollbars=yes,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="https://s.musha.org/blog3/image/all_640-thumb.gif" width="120" height="160" alt="" /></a>

　この縮小図の、上部中央にあるのが「本丸」、右下に延びているのが「上鉄砲町」。
　「二の丸」、「三の丸」を囲むお堀は、即、新発田城と分るすばらしい造形だ。
　城下町と絵図のＰＲに利用するのに便利な図であると思う。


◆「三之町」の部分図
　全体では大き過ぎて不便なので、部分図を作った。
　この絵図の特徴である町人町で、当時の街路もそのまま残る「三之町」を選んだ。
　画像ファイルは、横 640×縦 333pixel、容量 193KBである。

<a href="https://s.musha.org/blog3/image/san-no-cho_640.html" onclick="window.open('https://s.musha.org/blog3/image/san-no-cho_640.html','popup','width=640,height=333,scrollbars=yes,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="https://s.musha.org/blog3/image/san-no-cho_640-thumb.jpg" width="160" height="83" alt="" /></a>

　だいぶ粗くなったので、文字の判読は困難だ。
　こういう町人町が古地図に描かれていたというデモ用には、十分使える。
　町内の家数や奥行の深い店構えが見て取れる。

　（著作権の関係で、スキャン・合成したJPEGファイルは、公開を控える）
■
]]></description>
         <link>https://s.musha.org/blog3/2014/08/post_30.html</link>
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         <category>城と城下町</category>
         <pubDate>Thu, 14 Aug 2014 23:49:47 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>新発田古地図：一歩一間歩詰惣絵図（１）</title>
         <description><![CDATA[◆復元図が手元に来た！
　天保年間（1840年頃）に作成された新発田の古地図『一歩一間歩詰惣絵図』。
　読みは、「イチブ　イッケン　ブヅメ　ソウ　エズ」。（これまでの読みを修正）
　その復元図が、今、手元にある。

　原図は、個人の所蔵で、これを「新発田古地図等刊行会」が縮小復元した。
　原図は、縮尺600分の1で、それをさらに45%縮小。
　1974年（昭和49年）に、限定500部が頒布された。（価格 1,200円）
　
　復元図は、新発田市立図書館も収蔵しており、申込むと閲覧できる。（写真撮影可）

　『一歩一間歩詰惣絵図』の存在は、例の「城下町古地図散歩３」で知った。
　そこには、文字がほとんど判読不能なほどの縮小版が掲載されていた。
　その後、図書館で閲覧できたが、今度は大き過ぎて、うまく鑑賞できなかった。

　手元でじっくりと鑑賞してみたいと、ずっと思っていた。
　再び復元する運動を提起するしかないか、と思っていた。
　そこへ、何の予告もなく、幸運の女神が舞い降りた。（7月31日）

　刊行会に関わっていた方が亡くなり、遺品の中に、復元図等一式があった。
　息子さんがそれらを、ある知人のところへ届けてくれた。（感謝！）
　知人とはよく城下町の話をしていたが、そうした縁が古地図を導いてくれた。

　借用した古地図は、複合プリンタのスキャナ機能でパソコンに取り込み中である。
　ご好意に応えるべく、内容を読み解き、大いに活用しなくてはならない。
　著作権に十分配慮しつつも、当図のＰＲのため、ごく一部を公開しようと思っている。


◆『一歩一間歩詰惣絵図』の特徴
　主な特徴：
　--　・城下町全体の武家町、町人町、寺社の屋敷割りを全て網羅している
　--　・町人町を含め、各屋敷地の住人名が記載されている（判読力を要する）
　--　・主な屋敷地の間口と奥行の長さが記載されている
　--　・サイズは、原図（縦200cm、横260cm）の45%縮小（縦87cm、横119cm）

◆『明治初年　新発田城町絵図』との比較
　明治初年版の町絵図の主な特徴：
　--　・武家町、寺社のみの屋敷割りと住人名を記載している（文字は判読容易）
　--　・清水園、諏訪神社、上鉄砲町などの部分が割愛され、新築地が追加されている
　--　・全体的にシンプルで見易く、道路も現状によく適合している

　--　・サイズは、縦78cm、横105cm
　--　・ネットの<a href="http://www.mapshop.co.jp/products/list.php?category_id=78">古地図ショップ</a>で購入（2,700円）できる

　＜古地図を手にして城下町を回る＞には、これの方が適している。
　町人町や上鉄砲町付近の情報は『一歩一間』で補完する。
　かなり、理想的な組合わせである。

◆『一歩一間歩詰惣絵図』の名称の意味は不詳
　「一歩一間」は、「一間」を「一歩」に縮小したということのようだ。
　「一歩」がどういう単位なのかは、ピッタリした説明が見つからない。
　「歩詰」は「一歩」に満たない部分を四捨五入するということ。
■]]></description>
         <link>https://s.musha.org/blog3/2014/08/post_29.html</link>
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         <category>城と城下町</category>
         <pubDate>Sun, 10 Aug 2014 14:55:35 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>参考書：「城下町古地図散歩」シリーズ</title>
         <description><![CDATA[約３年ぶりの「blog歴史」の記事です。

◆ついに「城下町古地図散歩」シリーズを揃えた
平凡社の「城下町古地図散歩」シリーズは全９冊。
1995-1998年に発行されたが、絶版になっている。
Amazon.comに出品された中古本を、順次、蒐集した。
<table border="1" cellspacing="0" cellpadding="10"><caption><h4>◇　城下町古地図散歩（平凡社　太陽コレクション）◇</h4></caption><tr><td align="center">タイトル</td><td align="center">発行年</td><td align="center">定価</td><td align="center">購入年月</td><td align="center">中古価格</td></tr><tr><td>１　金沢・北陸の城下町</td><td align="center">1995年</td><td>2,800円</td><td>2012年11月</td><td>4,200円</td></tr><tr><td>２　名古屋・東海の城下町</td><td align="center">1995年</td><td>2,800円</td><td>2010年11月</td><td>2,250円</td></tr><tr><td>３　松本・中部の城下町</td><td align="center">1996年</td><td>2,800円</td><td>2010年08月</td><td>3,400円</td></tr><tr><td>４　大阪・近畿１の城下町</td><td align="center">1996年</td><td>2,800円</td><td>2010年11月</td><td>3,740円</td></tr><tr><td>５　萩・津和野　山陰・近畿２の城下町</td><td align="center">1997年</td><td>2,900円</td><td>2010年08月</td><td>2,000円</td></tr><tr><td>６　広島・松山　山陽・四国の城下町</td><td align="center">1997年</td><td>2,800円+税</td><td>2010年09月</td><td>3,000円</td></tr><tr><td>７　熊本・九州の城下町</td><td align="center">1998年</td><td>2,800円+税</td><td>2012年06月</td><td>4,156円</td></tr><tr><td>８　仙台　東北・北海道の城下町</td><td align="center">1998年</td><td>2,800円+税</td><td>2010年08月</td><td>5,600円</td></tr><tr><td>９　江戸・関東の城下町</td><td align="center">1998年</td><td>2,800円+税</td><td>2014年01月</td><td>1,169円</td></tr></table>

（新発田市立図書館には、「城下町古地図散歩」シリーズは一冊もない）


◆内容の特徴
ほとんどの城下町が網羅されている。
各城下町の古地図が、同じ縮尺で、現代の地図と並べて掲載されている。
遺された街の景観図、絵図、その他が、出典と共に多く掲載されている。

また、藩主の変遷や城下町の歴史、概要などの説明文は、地元の人達が執筆している。
故郷の城下町を熱く語っており、学者や観光ジャーナリストなどの文章とは、味が違う。
城下町のお薦め散策コースも紹介されている。

ただ、年表、藩主の変遷の表、系図、コース地図などが無いので、かなり分かり難い。
もっとも、これらは、紙の情報よりもＩＴが分担する方が良いと思う。
新発田城下町を題材に、そのあたりにチャレンジしてみたい。

　◇　◇　◇

Amazon.comで中古本を購入してきたのだが、その価格はけっこう変動する。
９　江戸・関東編は、ずっと4,000円台であったが、最近は、1,169円。
これを購入して、シリーズのセット完了。

３　松本・中部編新発田を含むは、3,400円であったが、最近は、1,450円。
そこで、もう一冊を購入しておいた。
新発田の人達に見てもらいたいと思うからである。


◆古地図の世界へ
「出典」のおかげで、新発田のすばらしい古地図と絵図の存在を知った。
--　・一歩一間歩詰総絵図（天保年間製）個人所蔵
--　・新発田より江戸道中絵図　　　愛知県西尾市の岩瀬文庫所蔵

古地図は、現在入手不可能であるが、ネットで探していたら、もう一枚が見つかった。
--　・新発田藩家中屋敷割図（明治初年版）　新発田市立図書館で複製を閲覧可
これは、ネットの<a href="http://www.mapshop.co.jp/products/list.php?category_id=78">地図ショップ</a>で複製販売されており、自分は複数枚を購入した。

両方の古地図は、共に、新発田市立図書館で複製を閲覧できる。
両方の古地図は、共に、きわめて鮮明な屋敷割り図で、他の城下町の古地図とは異なる。
これらを縮小印刷したものを手に、城下町巡りをすることは、最高の観光資源となる。
■]]></description>
         <link>https://s.musha.org/blog3/2014/01/post_28.html</link>
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         <category>城と城下町</category>
         <pubDate>Wed, 22 Jan 2014 20:38:29 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>参考書～「すぐわかる日本の城」</title>
         <description>◆すぐわかる日本の城
西荻図書館で、もう一冊のお城参考書を借りた。

・すぐわかる日本の城
　　　三浦正幸監修　東京美術　2009年　2,100円

前回紹介した「城郭の見方・調べ方ハンドブック」と同分野を扱っている。
こちらでは、現存天守（１２）を望楼型と層塔型に写真と共に分類している。
ただし、写真は個々の天守で向きなどが不統一で、特徴も分りにくいものがある。

飾り屋根（破風＝はふ）の説明は分り易い。
しかし、屋根の型式（入り母屋、切り妻、寄せ棟）の説明は、やはり無い。
いくつかの天守が写真やイラストを交えて説明され、ストレスはかなり解消した。

◆Amazon に発注
２冊を発注（３日午後）したら、翌日配送（４日9:30）された。
　・城郭の見方・調べ方ハンドブック
　・すぐわかる日本の城

◆お城の参考書はそろそろ打ち止め
これまでに揃えた参考書で、これ以上は要らないと思われる。
紙の本には限界もある。頁数の制限は大きく、写真などの更新もできない。
本の最大の特徴は、専門知識のある編著者の責任で書かれている、ということだ。

ネットでは、検索キーワードを工夫すれば、まだ有力な情報が得られる。
ネットの情報は、いつも信頼性と正確性に注意をしながら受け取る必要がある。
ネットを利用して情報を収集・集積するポイントは、オープン化だ。

Wikipediaのように、みんなで作っていく百科事典はよいサンプルだ。
お城と城下町を散策して楽しむには、もっともっと情報を集めなければならない。
いよいよ３月であり、城下町紀行が近付いてくる。

（それにしても、Amazonの豊富な在庫と迅速な翌日配達はスゴイ！）
■</description>
         <link>https://s.musha.org/blog3/2011/03/post_27.html</link>
         <guid>https://s.musha.org/blog3/2011/03/post_27.html</guid>
         <category>城と城下町</category>
         <pubDate>Fri, 04 Mar 2011 23:25:25 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>参考書～「城郭の見方・調べ方ハンドブック」</title>
         <description>◆城郭の見方・調べ方ハンドブック
お城について、かなり入れ込んで調べている。
西荻図書館で参考書を何冊も閲覧し、借りたりした。
建築の書棚にあった１冊を紹介する。

・城郭の見方・調べ方ハンドブック
　　　西ヶ谷恭弘ほか編著　東京堂出版　2008年　2,520円

前回紹介した「城郭みどころ事典（東国編）,（西国編）」の姉妹本だ。
城別ではなく、天守、櫓、門、堀、石垣などからの見方をまとめてある。
これも、NHK教育TVの「にっぽんの城」テキストの広告に載っていた。

◆説明文も写真もかなり充実
天守にば、望楼型と層塔型があること、飾り屋根（破風）の種類などが理解できた。
櫓や門についても、あいまいだったところが理解できるようになった。
写真は、見方のポイントを押さえているものが多く、参考になる。

◆ハンドブックとはいえない！
要点がまとまっておらず、文章全体を読み直さないと、知りたいことがつかめない。
書いてはあるが、どこに書いてあるかが見つけにくいのだ。
小見出しがあまり適切でなく、歴史と特徴と実例の記述が混在していて、ややこしい。

表にまとめてないから、一目では内容が分らない。
入母屋や切り妻のような初歩的基本用語（？）の説明が無い。
索引も無い。

つまり、持ち歩いて気軽に参照することは困難で、とてもハンドブックとはいえない。

◆ネットで補ってみたけれど
足りないところは、ネット検索で探す。
検索用のキーワードが豊富になったので、かなり有効なＨＰが見つかった。
しかし、結論を言えば、理解は進んだが、欲求不満も高まった。

昨年11月に訪れた『彦根城』の天守は、「どういう天守なんだろう？」
上の本で説明されている「天守」の構造や破風の分類のどれに当てはまるのか？
情報はバラバラに散らばり、しかも不完全だから、具体的な「天守」では迷宮入りだ。

『姫路城』は実例になっているから分るのだが、ほとんどの他の城の天守はダメだ。
文章も写真もイラストも、誰でも分るようにはなっていない。
「何でまともで具体的なな天守説明が無いんだよ？」というストレスだ。

◆自分で調べるしかない
とはいうものの、この前の『彦根城』紀行の写真も、ただ撮っただけのレベルだった。
とても『彦根城』天守を語る写真には使えない。特徴を掴む「視点」がない。
「視点」を定め、自分で調べるれば、納得できる写真が撮れる。

たぶん、３月中には『彦根城』天守紹介の速報版を公開できると思うので、乞御期待。
『岡山城』天守も紹介したい。天守巡りも城下町機構のテーマに加えよう。
「天守」が急浮上したけれど、城郭や城下町についても、同じ欲求不満を抱えている。
■</description>
         <link>https://s.musha.org/blog3/2011/02/post_26.html</link>
         <guid>https://s.musha.org/blog3/2011/02/post_26.html</guid>
         <category>城と城下町</category>
         <pubDate>Mon, 28 Feb 2011 00:06:36 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>参考書～「城郭みどころ事典」</title>
         <description>◆城郭みどころ事典（東国編）＆（西国編）
お城について、なかなかよい参考書を２冊購入した。
先回紹介したNHK教育TVの「にっぽんの城」テキストの広告に載っていた。
西荻図書館の蔵書にあったので、閲覧して確認し、Amazonに注文した。

・城郭みどころ事典（東国編）72城
・城郭みどころ事典（西国編）83城
　　　西ヶ谷恭弘ほか編　東京堂出版　2003年　2,310円

城にもよるが、説明文は十分に役に立つ内容だ。
写真も多く、ポイントを押さえているので参考になる。
縄張り図もすっきりと描かれていて、分りやすいものが多い。

写真は、撮影場所が縄張り図にマークされていてありがたい。
サイズが小さく、不鮮明なものもあり、モノクロも多い、などに不満はある。
撮影の季節や時間帯などの簡単なアドバイスがあってありがたい。

◆城と城下町
全国155城を網羅して、平均的に扱っているため、悪しき平等が目立つ。
この種の本（100名城、城下町100選など、古地図散歩シリーズも）の共通の欠点だ。
紹介が十分過ぎる城もあれば、全く不十分な城もある。

ほとんどが２頁か４頁で、最大６頁（大坂城、彦根城、姫路城など）である。
１対10位の差をつけてもいいように思う。八方美人は、かえって不親切だ。
もっとも、多くの城を網羅的・平均的に掲載する方が、本の売上部数は上がるのだろう。

もうひとつ、お城の本だからやむを得ないが、城下町の紹介がきわめて薄い。
萩は城は目立たないが、城下町はすばらしく、津和野は小京都風の樹下町なのだが。
城の縄張り図が主で、城下町は原則対象外になっている。

◆さりながら
他の本などではよく分らなかったお城について、手ごたえのある情報を提供してくれた。
4,620円は妥当な買い物だった。
つぎの城下町紀行（４泊５日の予定で検討中）の楽しみがぐっと増えたのだから。
■</description>
         <link>https://s.musha.org/blog3/2011/02/post_25.html</link>
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         <category>城と城下町</category>
         <pubDate>Thu, 17 Feb 2011 23:27:38 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>革新的な＜城＞番組　～　NHK教育TV</title>
         <description>◆革新的な＜城＞番組が始まっていた！
全く新しい＜城＞番組に感激した。
（シリーズの第１回は見逃し、第２回の再放送であった）

NHK教育TV
・直伝　和の極意　体感・実感！　にっぽんの城
・2011年1月～3月
・毎週木曜日　22:00-22:25（再放送　翌週木曜日　13:05-13:30）
・テキスト　1,365円

さすがＮＨＫであり、並みの＜お城紹介＞や＜名所案内＞番組とは、『質』が違う。
それぞれの武将が、どのような思いを込めて＜城＞を築き上げたかを追究している。
徹底した歴史背景と現地調査などによって、それがみごとに浮き彫りにされている。

放送時間はわずか25分だが、映像はとても充実している。
第２回「熊本城１」では、加藤清正の＜城に込めた思い＞が映像から伝わってきた。
時あらば、大阪城の豊臣秀頼を熊本に迎え、家康と一戦交えようという＜思い＞だ。

テキストがまたでき映えがいい。
写真は、プロの秀作で、特に熊本城編では、城の威容がド迫力で撮影されている。
撮影場所と方向が案内図上に示されていて、自分で撮影する場合のよい参考になる。

城の解説は、詳細かつ分り易く、他の解説書では得られない満足感を与えてくれる。
城にまつわる豆知識も豊富に掲載されていて楽しめる。
巻末には、上田城のペーパークラフトの付録まで付いている。

◆これからの放送に期待
初回は、姫路城であったが見逃してしまった。（天守閣は、大修理中）
次の第３回は、「熊本城～２」（再放送分を視る）だ。
以後、名古屋城、大坂城（２回）、仙台城、上田城＆松代城（２回）、小谷城と続く。

実は、最後の２回では、山城（やまじろ）の縄張り図を作成する。
これはおそらくＴＶでは始めてのことで、きわめて価値の高い体験企画と思う。
木々に埋もれて残る戦国時代の山城跡には、平地の大きな城郭とは異なる趣がある。

放送を続けて楽しみたい。
■</description>
         <link>https://s.musha.org/blog3/2011/01/nhktv.html</link>
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         <category>城と城下町</category>
         <pubDate>Tue, 25 Jan 2011 22:26:37 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>堀部安兵衛とイタリア大使館</title>
         <description>◆『blog歴史』再開
久しぶりに『blog歴史』を再開。
まずは、知る人ぞ知る、知らない人は知らない歴史の不思議。
ＮＨＫ総合ＴＶの「ブラ・タモリ」（第十回）で放映された。

＜赤穂義士＞と＜イタリア大使館＞という異色な組合せだ。
義士の一人の堀部安兵衛の名が出て、つい画面に引き込まれた。
安兵衛は、新発田出身ゆえ耳にかかったということ。

◆赤穂義士の討入りと切腹
元禄15年12月14日（1703年1月31日）、赤穂浪士47人が吉良邸に討入りした。
討入り後、47人はいくつかの大名屋敷に分散して預けられて、幕府の沙汰を待った。
元禄16年2月4日、幕府の命により、全員切腹となった。

◆イタリア大使館と大名庭園
東京・三田にあるイタリア大使館は、元禄当時、伊予・松山藩の中屋敷であった。
明治維新後、 松方正義公爵邸になっていたが、屋敷は昭和5年3月に焼失。
関東大震災後の都市計画を進めていた政府の要請で、昭和7年、大使館が現地に移転。 

大使館建設にあたり、当時残されていた大名庭園を部分的に保存することにした。
現存する江戸の大名庭園としては、きわめて貴重な存在と云われている。
当時の大使の識見に感謝しなければならない。

◆安兵衛らは松山藩に
その松山藩に預けられたのが、大石主税、堀部安兵衛ら十名（*）の義士であった。
松山藩は義士の切腹の場所を堀り上げて池とし、土で築山を作り、慰霊したという。
イタリア大使も昭和10年頃に、義士のための立派な鎮魂碑を建立している。

*）大石主税（弱冠16歳）、堀部安兵衛、木村岡右衛門、中村勘助、菅谷半之丞、
千馬三郎兵衛、不破数右衛門、大高源五、貝賀弥右衛門、岡野金右衛門。

◆歴史の連鎖
これが、堀部安兵衛とイタリア大使館との関わりのエピソードである。
安兵衛：新発田藩　→　赤穂藩　→　討入り　→　松山藩　→　イタリア大使館。
まことに、不思議な歴史の連鎖ではある。
■</description>
         <link>https://s.musha.org/blog3/2010/12/post_24.html</link>
         <guid>https://s.musha.org/blog3/2010/12/post_24.html</guid>
         <category>城と城下町</category>
         <pubDate>Sun, 26 Dec 2010 23:33:46 +0900</pubDate>
      </item>
      
   </channel>
</rss>
